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前回掲載したソフトバイクが置かれていた商家の前から東を向いて。
「フランスベッド」の看板のところがT字路になっていて、折れると「朝日座通」。
曲がらずに真っすぐ行くと、前々回で掲載した三河一色駅跡へと続きます。
今回は写真で云うと手前側、用水路を渡った辺りを歩きます。

橋を渡ってすぐの角。
料理店の建物が残っています。看板は出ていないので、現在はやめられたようです。
一方通行の矢印の方向へ結構細長い敷地いっぱいに建てられており、
なかなかの規模があります。

近所の少し古い案内図。
「梅屋 割烹」とあるのが、上のお宅。
昔はこの向かいに
一色町役場があって、街の中心だったのが窺えます。
役場の跡は現在児童関連の施設となっています。
路地を南へ歩いて行くと、旅館や仕出し屋さんが並んでいたりします。
一色町について図書館でいろんな本を調べてみたのですが、
大正年間くらいには
料理店や芸妓さんの
置屋の広告が見られ、古くから栄えていた様がわかります。

一本南の大宝橋から、上の旅館の方を見たところ。
ベランダというか物干し場が用水路に張り出した造りの家が多いです。
今くらいの時期の夕方とか、気持ち良さそうですね。

次回は本町の商店街へ。

PHOTO:
RICOH GR-DIGITAL+GW-1&
Kodak EasyShareV705 2007/07, 2008/05
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テーマ:レトロを巡る旅 - ジャンル:旅行
- 2008/10/16(木) 01:11:07|
- 愛知県幡豆郡一色町
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碧南からは小さなバスに揺られて、市街地を抜け、橋を渡り、田んぼの真ん中を走って、
一色町へ到着。
名古屋界隈の電車やバスでは、「他のお客様のご迷惑となりますので、
携帯電話のご使用はお控え下さい」などとマナーについて注意喚起されるのですが、
このバスでは、「掛かってきた場合は小声で手短にすませてください」とのこと。通話OK。
これはびっくりしました。
ま、私が降りるまで、話している人はいませんでしたが…
さて、
一色町なんですが…実はこの日はあまり体調が良くなく、
あまり歩くことができませんでした。
写真も、いつもなら1日で最低250枚、多いときは400枚以上撮影するのですが、
この日は前回記事の碧南駅前の写真を含めてもわずか100枚足らず…
いつもに増して、写真の出来もイマイチで…なので今回は街を歩いていて気になった名鉄
三河線跡を中心にチラッと。
町の中心の後、役場から「一色悪水路」という用水路沿いに北に歩いたところ。
三河線の
廃線跡。橋は渡れないようにフェンスで囲われていますが、
レールもしっかり残っています。

用水路沿いにさらに北上。
ヘロヘロながら、こんなところまでやってきたのは、
事前にネットで調べていたとき、ある地図に
この先に「駒の家」さんという芸妓さんの
置屋さんが載っていたからなんですが…
それらしき家は見当たらず…ハァ…

がっくりしながら、西へ。
一色町の商店街の延長線上付近。
右に写っている建物はクリーニング店だったかな…
道路と交差する部分の線路は取り除かれていました。

中心の商店街からちょっと外れたところにあった三河一色駅の跡。
駅名標は失われていますが、ホームもキレイに残されていました。

ホームの柵に腰掛けたりして時々休みながらの撮影。
「せっかくこんな遠くまで来たのだから…」という一方で、
「なにやってんだ、辛い思いして写真撮って…」相反する気持ちが
頭の中でぐるぐる回っていました。

やっぱ、気持ちよく写真を撮れないのはよくないなぁ…というワケで、
早々に帰ることにしました。

すみません、なんか今回は愚痴のような記事になってしまいました。
次回はリベンジ編、この1年後に再訪した
一色町です。

PHOTO:
Ricoh GR-DIGITAL+GW-1 2007/07
テーマ:レトロを巡る旅 - ジャンル:旅行
- 2008/10/03(金) 23:17:13|
- 愛知県幡豆郡一色町
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再びの形原。
前回は温泉街の方を歩き、「形原の
花街」というのは「ココだ!」と思ったのですが、
いまひとつ何かが足りない気がする。
で、今年になってからある方に伺ってみると、温泉とは別に市街地の方にも
花街・色街があったとのこと。
で、図書館で調べ直してみると、「形原海岸芸妓組合」というのが別に存在し、
さらに「
形原歓楽荘」呼ばれる色街もあったらしい…
で、今回の再訪となったのです。
駅から港の方へ歩くと、「音羽(おっぱ)」という交差点があります。
前回は交差点を右に折れた界隈を歩いたのですが、
花街があったのは反対に左に曲がって、小さな川を渡ったところ。
商店街から逸れていくこの
路地と…

川に沿ったこの道がそうだったようです。
以前書いたように、この日は
蒲郡→形原→西浦→形原の順に歩きました。
形原では同じ場所を時間を変えて歩いていますので、いつもの時系列順ではなく
場所ごとに掲載していきます。

まずは川沿いから。
軽自動車でも通るのがやっとのような細い道が、護岸の上に延びています。
ここにも数軒の
置屋さんや
妓楼があったそう。

同じ場所で振り返ったところ。
近所の方のお話しによると、奥の白いお宅の場所もずいぶん以前は
置屋さんがあったとのこと。

この道沿いでもっとも「らしい」のがこちらのお宅。
昭和37年の地図では「福住」の屋号が書かれています。
道路から一段下がったところに立派な玄関が設えられています。
人形店の看板が立てられているのは、裏がお店になっているから。
店側は改装(というより建て増しか?)されていて、
花街っぽさは全く感じられません。
この先は建物もなく、街はこの辺りまでだったようです。

この日のお昼は橋の袂の食堂で戴きました。
お年を召したご夫婦で切り盛りされている、小さなお店。
玉子丼を戴きましたが、「おふくろの味」というか、やさしく懐かしい味付けでした。

PHOTO:
Ricoh GR-DIGITAL+GW-1, Kodak EasyShare
V705(1、2枚めのみ) 2008/06
[愛知県蒲郡市形原町 もうひとつの花街跡へ]の続きを読む
テーマ:レトロを巡る旅 - ジャンル:旅行
- 2008/09/18(木) 02:04:38|
- 愛知県蒲郡市
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子守地蔵尊の
路地からわずかに南に、5軒ほどがまとまった古い長屋があります。前回書いたように地蔵尊の
路地の長屋は
置屋さんだったそうですから、ここもそうではないか?とにらんでいます。
一番北側の家。5軒の中でもっとも原型を留めているように思います。

手前の家は、喫茶店かなにかご商売をされていたのでしょうか。店の面影が残る外観です。

一番南の家。玄関上の窓がカワイイ。

1本西の通り。古い民家が軒を連ねるここは、界隈で好きな風景のひとつです。民家に混じり、食堂や印刷会社、床屋さんなどご商売を営まれている家も多くあります。最近では、オシャレなイタリア料理店もオープンし、今度はヨメさんを連れて来てみたいと思ってます。

2階のガラスが素敵な家。空家となっているらしく、軒下はバイク置き場となっていました。

次回はさらに南下し、国際センタービルの裏手あたりへ。

PHOTO:RICOH
GR-DIGITAL+GW-1 2007/05/27
- 2007/06/26(火) 06:00:00|
- 名古屋市西区
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大垣駅正面の通りを南下します。この通りが
大垣のメイン・ストリートらしく、界隈には多くの商店が軒を連ねています。その中ほどを流れる水門川に面して建つのが、
銭湯「
大垣湯」さん。しかし、残念ながら既に廃業されており、入口の前は歯科医院の駐車場として使われていました。

裏側に廻ると、煙突もしっかり残っています。廃業というのは寂しいものですが、建物だけでも残っていて、こうして見ることができるのはありがたいです。
大垣湯さんの隣、小さな建物に居酒屋やスナックがひしめく飲み屋街。この郭町界隈はとても飲み屋さんが多いです。

同時にこうした会社関係の旧いコンクリート建築も多いです。見どころの多い町並みです。

通りの西側、
大垣城に近い辺りには、現在も料理店が点在しています。「現在の
大垣市史」という資料(昭和5年刊)によると、「不況被策と人性本態を養ふ遊楽地は市内の中央の一郭を占めて居る、即ち郭町の大半に料理屋と藝妓
置屋が散在して居る、其の料理屋組合員の数は七拾八軒あり…」という記述があり、戦前はとても栄えていたことが分かります。また、同じ資料に芸妓
置屋について、「大垣市内は藝妓
置屋業は特定の指定地を設け、郭町と藤江旭廓の二箇所にあり、その数現在四拾二軒にして藝妓の数百九十八名あり、藝妓
置屋組合は検番組織にして、料理屋との取引は全部検番制度で其の内容たるや組合預金五萬円余を有し、全国まれに見る模範的組合であり…」ともあり、その繁盛ぶりがうかがえます。

料理店はさすがに建て替えられ、当時の面影を残さない近代的な建物が多くなっています。
写真は上
写真と同じ敷地に建つ赤壁の家。現在は使われていないようでした。

次回も郭町界隈を歩きます。

PHOTO:RICOH
GR-DIGITAL+GW-1 2006/11/16
- 2007/06/15(金) 01:20:00|
- 岐阜県大垣市
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食事が摂れるところを探したのですが、なかなか見当たらない…市役所の周りなら何かあるだろうと向かいましたが、ウーン、ないなあ。結局、市役所の食堂でカレーをいただきました。

市役所を出て駅の方向に向かうと、運河を挟んだ広大な敷地にお酢で
ミツカンさんの工場や倉庫が並びます。

黒い板張りの倉庫があるのは知っていましたが、1~2棟のショボイものだと想像していたので、びっくり。残念ながら公開されている「酢の里」はお休みだったので、内部は拝見できませんでしたが、外だけでもなかなか見応えがありました。

しかし
ミツカンさん、古い建物を大事に使われていますね。

普通なら取り壊してしまわないまでも、表面をトタンで覆ったりしてしまうところですが、ほとんど全てが黒い板張りのまま。これはこれで結構大変なのでは?と感じます。
ミツカンさんの南側、荒古の町。この付近にも「やなぎ寮」「久五寮」「分一本」「好広寮」「春日寮」「すみ松寮」「繁茂登寮」「一本寮」「友栄寮」など芸妓さんの
置屋がたくさんあったようです。現在は落ち着いた町並みですね。

かつてはどんな建物があったのでしょう。駐車場の塀に残るレンガの切れ間から
ミツカンさんの本社ビルが臨めました。

PHOTO:Ricoh
GR-digital+GW-1 2006/08/16
テーマ:レトロを巡る旅 - ジャンル:旅行
- 2006/12/14(木) 23:10:08|
- 愛知県半田市
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